奈良

奈良

今にも、雨が降り出しそうな早朝。
今年二度目、奈良に向かった。
東京を出発する時は、曇り空から雨に移っていた。
少し肌寒かった。
奈良は、大雨との予想だった。少し、気が重くなっていた。
歴史という区切りの中で、変容は時間上でどのように顕現するのか。
奈良の地で考えることが一番ふさわしいのだ思った。
流れ去る景色の中、時間的な継続性さえも認められないようなわずかな隔たりの中にも、真実は隠されている気がした。

奈良は、土砂降りだった。
奈良国立博物館までの道のりが、2月とは違い長く感じられた。
雨に濡れる鹿の姿が、どことなくかわいそうな気がした。
過去には戻れない、歴史に触れるのは現在からでしかない。
ただひたすら、その街の光景が語り掛けている気がした。
超国宝展を見ながら、歴史も文学と同様、想像の世界に変容するのだと考えた。
現実は、一つであるのに、時がたてばたつほど、無限の世界に変容する。
それが、宿命であるとさえ思わずにはいられなかった。

昼過ぎ、奈良国立博物館を後にするときは、既に雨が上がり、ちらほらと青空が見れた。
足早に東大寺、薬師寺、唐招提寺を訪れた。千何百年も前の遺産に、当時の人の声を想像した。
ふとした一瞬から、今聞こえてくる声が変容した気がした。それこそが、歴史の深さであると知った。
幼き頃に訪れた土地、あの頃、何も分からずに訪れていた。
何も分からないまま訪れていたのに、いつしか大人になり、奈良に魅了された自分がいるのは、あの時、どこかで自分の心に引っかかるものがあったのだからと納得した。
自分という歴史の数十年の隔たりと、奈良という土地の千数百年の隔たり。
変容が昇華して、顕現をしているだけだと思ったと同時に、教育は、未来への懸け橋である気がしてならなかった。

奈良を去る前に、猿沢池に寄った。采女祭を夢見た。
Live動画から流れて来た采女祭を食い入るようにして見た東京の夜が、猿沢池の一部に溶け込んでいる気がした。
明日は、父と母がいる鎌倉に行く。鎌倉のほとんどの仏教寺院は訪れた。当たり前であるけれど、奈良は鎌倉よりさらに古く、日本仏教の原点があると教えられた。
両者における変容。
変容は時間軸にしか現れない。ただそれだけだと、この地で確信した。

2025年5月2日 奈良(猿沢池)





奈良

今にも、雨が降り出しそうな早朝。
今年二度目、奈良に向かった。
東京を出発する時は、曇り空から雨に移っていた。
少し肌寒かった。
奈良は、大雨との予想だった。少し、気が重くなっていた。
歴史という区切りの中で、変容は時間上でどのように顕現するのか。
奈良の地で考えることが一番ふさわしいのだ思った。
流れ去る景色の中、時間的な継続性さえも認められないようなわずかな隔たりの中にも、真実は隠されている気がした。

奈良は、土砂降りだった。
奈良国立博物館までの道のりが、2月とは違い長く感じられた。
雨に濡れる鹿の姿が、どことなくかわいそうな気がした。
過去には戻れない、歴史に触れるのは現在からでしかない。
ただひたすら、その街の光景が語り掛けている気がした。
超国宝展を見ながら、歴史も文学と同様、想像の世界に変容するのだと考えた。
現実は、一つであるのに、時がたてばたつほど、無限の世界に変容する。
それが、宿命であるとさえ思わずにはいられなかった。

昼過ぎ、奈良国立博物館を後にするときは、既に雨が上がり、ちらほらと青空が見れた。
足早に東大寺、薬師寺、唐招提寺を訪れた。千何百年も前の遺産に、当時の人の声を想像した。
ふとした一瞬から、今聞こえてくる声が変容した気がした。それこそが、歴史の深さであると知った。
幼き頃に訪れた土地、あの頃、何も分からずに訪れていた。
何も分からないまま訪れていたのに、いつしか大人になり、奈良に魅了された自分がいるのは、あの時、どこかで自分の心に引っかかるものがあったのだからと納得した。
自分という歴史の数十年の隔たりと、奈良という土地の千数百年の隔たり。
変容が昇華して、顕現をしているだけだと思ったと同時に、教育は、未来への懸け橋である気がしてならなかった。

奈良を去る前に、猿沢池に寄った。采女祭を夢見た。
Live動画から流れて来た采女祭を食い入るようにして見た東京の夜が、猿沢池の一部に溶け込んでいる気がした。
明日は、父と母がいる鎌倉に行く。鎌倉のほとんどの仏教寺院は訪れた。当たり前であるけれど、奈良は鎌倉よりさらに古く、日本仏教の原点があると教えられた。
両者における変容。
変容は時間軸にしか現れない。ただそれだけだと、この地で確信した。

2025年5月2日 奈良(猿沢池)





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