伊根

伊根
美は相違の中での拡張だ。
数日間激しい雨が続いた。雨が止んだのを見計らって、日付が変わった深夜京都のに伊根に向かった。
都会を去り行く眩い光が流れてゆく様は、さながら夢に中にでも囚われているようだった。
やがて朝が訪れ、緑色を見せる海を見た。伊根に着く前に、光とその色にどきどきした。
忘れていた何かを思い出せた気がした。
伊根を通りながら、本当にこんなに素晴らしい場所が日本にはあるのだなというのが第一印象だった。
旅立ってからずっとどこか別の世界に紛れ込んでいるという印象をさらに心の中に映し込んだ。
けれど不思議なことにその感情は、伊根に着いてから長くは続かなかった。
夢の中の旅人という顔が一瞬だけ顔を出しただけだった。
この国にある、哲学は絶対的に自然は克服ではなく自然と共に生きる共存だ。
それは、日本の至る所で同じだ。
自然と共に生活があった結果、美意識が自ずと現象化した。
その根本が全てを支えて来た。
コロナの後、価値観が変わったように見えるけれどその本質は変わらない。
変えられようがない、本質がまたコロナの後で戻って来た。
変える事は出来ないのだと伊根で確信した。
西洋の文明、文化が与えた影響で、何が正しいとか、何が善かに囚われて来たが、その必要はないとさえないと思われた。
伊根を見た時、一切の囚われではなく、それはただあるからのような気がした。
高校の頃に読んだ、記号論がそこにはあった。
忘れかけていたのはそれだったのかもしれなかった。
現象は、その現象がすべてだ、あるものが全てだ。
ないものもないという現象だ。
伊根のに生きる漁村に、美学も必要はない、人が生きている姿があるだけの気がした。
それが全てだ。
美を与えるのは他者で、その価値観に共感するのもまた他者だ。
観光客の来ない静かな舟屋の通りを歩いた。
いいなと思うよりも、カメラを持つ自分がその土地の人に悪い気がした。
自分も観光に来て、他人を批判は出来ないけれど、その土地で生活をしている人達がいて生活をしているのだと感じた。
静かな土地に一瞬立ち止まり去ってゆく人達。
その地で生きている人にとっては、生活の場は見世物ではないという気持ちが生まれるのも間違っていない気がした。
それは、世界中で起こっている事も、形は違えど本質は同じ気がした。自分も加担者であるのだと痛感した。
例え相違に美があったとしても、伊根が美しいと表現するのは違う気がした。
この地の土地と人が全てだ、そして、自然と生きている人たちが全てだ。
美を探すことさえ、異なる気がした。
美は、住み心地の良い場所をよく見極める。
それは自然と共にある夢の中の場所だ。
時に、触れる事なく、そっとしておくこともまた、美の一つなのだと伊根から教えられた。
2026年9月22日 伊根
伊根
美は相違の中での拡張だ。
数日間激しい雨が続いた。雨が止んだのを見計らって、日付が変わった深夜京都のに伊根に向かった。
都会を去り行く眩い光が流れてゆく様は、さながら夢に中にでも囚われているようだった。
やがて朝が訪れ、緑色を見せる海を見た。伊根に着く前に、光とその色にどきどきした。
忘れていた何かを思い出せた気がした。
伊根を通りながら、本当にこんなに素晴らしい場所が日本にはあるのだなというのが第一印象だった。
旅立ってからずっとどこか別の世界に紛れ込んでいるという印象をさらに心の中に映し込んだ。
けれど不思議なことにその感情は、伊根に着いてから長くは続かなかった。
夢の中の旅人という顔が一瞬だけ顔を出しただけだった。
この国にある、哲学は絶対的に自然は克服ではなく自然と共に生きる共存だ。
それは、日本の至る所で同じだ。
自然と共に生活があった結果、美意識が自ずと現象化した。
その根本が全てを支えて来た。
コロナの後、価値観が変わったように見えるけれどその本質は変わらない。
変えられようがない、本質がまたコロナの後で戻って来た。
変える事は出来ないのだと伊根で確信した。
西洋の文明、文化が与えた影響で、何が正しいとか、何が善かに囚われて来たが、その必要はないとさえないと思われた。
伊根を見た時、一切の囚われではなく、それはただあるからのような気がした。
高校の頃に読んだ、記号論がそこにはあった。
忘れかけていたのはそれだったのかもしれなかった。
現象は、その現象がすべてだ、あるものが全てだ。
ないものもないという現象だ。
伊根のに生きる漁村に、美学も必要はない、人が生きている姿があるだけの気がした。
それが全てだ。
美を与えるのは他者で、その価値観に共感するのもまた他者だ。
観光客の来ない静かな舟屋の通りを歩いた。
いいなと思うよりも、カメラを持つ自分がその土地の人に悪い気がした。
自分も観光に来て、他人を批判は出来ないけれど、その土地で生活をしている人達がいて生活をしているのだと感じた。
静かな土地に一瞬立ち止まり去ってゆく人達。
その地で生きている人にとっては、生活の場は見世物ではないという気持ちが生まれるのも間違っていない気がした。
それは、世界中で起こっている事も、形は違えど本質は同じ気がした。自分も加担者であるのだと痛感した。
例え相違に美があったとしても、伊根が美しいと表現するのは違う気がした。
この地の土地と人が全てだ、そして、自然と生きている人たちが全てだ。
美を探すことさえ、異なる気がした。
美は、住み心地の良い場所をよく見極める。
それは自然と共にある夢の中の場所だ。
時に、触れる事なく、そっとしておくこともまた、美の一つなのだと伊根から教えられた。
2026年9月22日 伊根

